境内には古木が多く、カヤの大木は樹齢800年以上、イチョウは樹齢300年ともいわれており、また周囲の土手はこの地がかつて奥沢城であった名残で、鎌倉期における築城学上「土塁」の形態を示すものとして貴重な資料であります。
参道・総門・閻魔堂・山門(仁王門)・鐘楼・開山堂・観音堂・龍護殿(本堂)・三仏堂・書院・食堂等いわゆる七堂伽藍の完備した僧房として数少ない寺院であります。
また、寺域全体が極楽浄土の様相に形どられ、弥陀三六の願いに即して、境内3万6千坪、三仏堂各堂の丸柱が三十六本柱、更に上品堂と龍護殿の間が三十六間というように、細部にわたって往生にちなんだ数字があてはめられており、九品仏へ参拝結縁したならば、往生浄土の信心を得ることが出来るという願いが込められております。
扁額に「般舟場」と書かれた淨眞寺の入口にあたる門です。
般舟とは「般舟三昧」の事で、当山の院号である「唯在念佛院」の名の如く、
淨眞寺が念仏道場であることを表しております。
閻魔大王(正面)は亡者の罪を裁く王で、笏を持ち忿怒の形相をしております。
奪衣婆(左側)は、三途の川のほとりで死者の衣類を剥ぎ取る鬼女であり、
懸衣翁(右側)は、衣領樹(えりょうじゅ)という木の上におり、奪衣婆が剥ぎ取った衣類を枝にかけ、
その枝の垂れ具合で死者の生前の罪の重さを計るとされております。
開山珂碩上人自彫のご尊像をお祀りしております。
上人像は古来より安産・厄除・開運にご利益ありとされ、現在もひろく信仰をうけております。
上人のご命日に当る毎月七日の開山忌には、
ご尊像を開帳して午後一時より法要・法話・写経が催されており、
一般の方の参加を望んでおります。
重厚荘重なる山門(仁王門)は寛政五年(1793)の建立であります。
入母屋造りの茅葺銅板屋根で上層部は「紫雲楼」と呼ばれ、
阿弥陀佛像と二十五菩薩像が安置されております。
下層部には左右に金剛力士像を安置し、その裏側には風神雷神像がおり、
淨眞寺全域の鎮守が意図されております。
羂索を手にあらゆる衆生を救済する誓いを立てた不空羂索観音菩薩をお祀りしております。
参拝する際は寺務所へお声かけいただきます様にお願いいたします。
流麗な建築手法を示す鐘楼は関東でも誉れ高く、宝永五年(1708)の建立です。
梵鐘は文化財に指定されており、深沢の名家谷岡氏の御先祖が二親菩提のために
鋳造され寄進されたものであります。
楼の四周に刻まれた干支は、作者不詳でありますが名作と言われております。
本尊に釈迦牟尼佛像を安置し、元禄十一年(1698)上棟の大堂宇であります。
堂内には数々の佛像とご尊像が祀られ、なかでも五劫思惟像は珍しい佛像でございます。
淨眞寺の鬼門を守護する御社で、伊勢神宮、春日大社、石清水八幡宮、住吉大社、熊野大社の
五社の御分身をお祀りしております。
上品堂を中央に、右に中品堂、左に下品堂と配置し、各堂宇には阿弥陀佛像が三躰ずつ安置されております。
上品堂を中央に、右に中品堂、左に下品堂と配置し、各堂宇には阿弥陀佛像が三躰ずつ安置されております。
中品堂安置の阿弥陀佛3躰は
【中品上生佛・平成28年3月完成】
【中品中生佛・平成30年3月完成】
【中品下生佛・令和 2年3月完成】
無事修繕を終え揃いました。
上品堂を中央に、右に中品堂、左に下品堂と配置し、各堂宇には阿弥陀佛像が三躰ずつ安置されております。
珂碩上人は元禄七年(1694)十月七日、御年七十七歳にて示寂されました。
御廟より右手には歴代上人墓がございます。
九品仏淨眞寺 境内図<昔>
参照:江戸名所図會