珂碩上人済度の二龍伝説に由来する「龍護殿」は、創建より龍神の御守護をいただく霊験あらたかな堂宇であります。
伝記によると、寛文二年(1662)伊豆下田にて奇妙な魚がかかり、珍しがった村人がその魚を食べると、その者たちは奇病にかかってしまいました。
調べてみるとその魚は、伊豆下田の海に住む龍女であったのです。
薬も効かず困り果てた村人は、霊験あらたかな珂碩上人を訪ね、仏法の救いを求めました。
そこで珂碩上人は龍女に施餓鬼会を勤め供養し「玉譽泉龍」と戒名を授けました。すると奇病は治まり、供養された龍女は龍神となりました。
次に寛文八年(1668)越後村上の泰叟寺に珂碩上人が居られた時、近くの川が毎年氾濫して、人や家畜が溺死しておりました。
これは悪龍の災いであると考えた村人は、珂碩上人に悪龍を鎮めてほしいと嘆願いたします。
珂碩上人は下田の龍女と同じく施餓鬼会を勤め、悪龍に「深譽清龍」と戒名を授けられました。
するとそれ以来、川は氾濫することはなく、供養された悪龍もまた龍神となりました。
かくして、伊豆下田と越後村上の二龍は珂碩上人と仏縁を結び、堂宇内陣の柱に祀られて淨眞寺の守護龍神となり、堂宇名を「龍護殿」といたしました。
以来、毎年初辰の日に「玉譽泉龍」「深譽清龍」二龍の祈願会を行い、当山の守護と火防を祈っております。